こころ社労士事務所の藤井です!
ついに月見の季節が来ましたね!某バーガー店の月見バーガーが大好きで毎年食べるのを楽しみにしているのでこの時期は嬉しい限りです。(先日早速月見バーガー食べましたニッコリ)
さて、早速ですが先日、わたしの中でこの9月の最大のイベントに行ってきました。
大阪中之島美術館で開催されている「フェルメール 真珠の耳飾りの少女展」です。
フェルメールの代表作はかの有名な《真珠の耳飾りの少女》。
前回この少女が来日したのは14年前のことです。
当時受験生だったわたしはこの展覧会を泣く泣く見送りました。行けなかったことがずっと気がかりで、見たかったなぁ…と想いを馳せること14年。
ついにまた少女が日本に来てくれました!
しかし今回の少女の日本への旅は少し事情があるようです。
オランダのマウリッツハイス美術館の改修工事に伴う臨時休館がきっかけで来日が実現したのですが、同館の館長は今回の日本巡回について、「おそらくは最後となるであろう特別な機会」とコメントしているのです。
日本へ来るのが最後かもしれない。
巡回せず、展示会場が大阪しかない。
会期が短い。
このような大変厳しい条件の中、たくさんのファンが来日を楽しみにしていた「少女」。
何とか無事家族分のチケットを取ることができ、わたしは初めて少女に会いに行ってきました。
フェルメールは、一枚の絵を完成させるのに長い時間をかけたため、現存する作品はわずか30数点しか知られていません。
今回は《真珠の耳飾りの少女》のほか《ディアナとニンフたち》も展示されていました。こちらはフェルメールの初期の作品になります。
月の女神・ディアナとニンフ(森の精)たちが、森の中で静かに休んでいる時間を描いています。
この絵画に描かれているディアナについては有名な物語があります。
簡単にまとめると狩人アクタイオンが、偶然、水浴びをしているディアナたちを見てしまい、それに怒ったディアナが、アクタイオンを鹿に変えてしまう。そして、最後には自分の猟犬に殺されてしまう、という内容です。
しかしフェルメールはこの劇的な場面ではなく、ディアナとニンフが足を洗って休んでいる場面を描いています。
何も起きない日常の一コマ。そんな瞬間を切り取っているかのような描き方からわたしはなんとなく”フェルメールらしさ”を感じました。
《真珠の耳飾りの少女》もですが、《牛乳を注ぐ女》《手紙を読む青衣の女》など 、その他の作品も同じです。どの作品も「劇的な何かが起きている場面」を描いておらず日常の一瞬を切り抜いているように思います。
会場内では、先に《ディアナとニンフたち》が展示されており、部屋を移動すると、いよいよ待望の《真珠の耳飾りの少女》とのご対面になります。
やっと少女と会えた瞬間の感想としては、見ることができた感動と少女の美しさに「わ…わぁ…‼‼」と語彙力が消えていってしまいました笑
落ち着いてから振り返ってもわたしが今までに見てきた作品の中で最も印象深いものになりました。
絵画のサイズとしては決して大きくはないです。
それなのに、この小さい絵画の中の少女から目が離せなくなります。
なぜ400年近く経った今でも、これほど多くの人を惹きつけるのでしょうか。
《真珠の耳飾りの少女》はトローニーというジャンルの絵画に当てはまるそうですが、この少女が誰なのかは分かっていません。
この少女はいったい誰なのか。
振り返っているように見えるこの一瞬に、少女は何を思っているのか。
澄んだ瞳には何が映っているのか。
黒い背景の中で光を宿す大粒の真珠と印象的なウルトラマリンのターバンに黄色の衣装。
シンプルな構成なのに見れば見るほど、不思議な感覚に包まれて、目が離せなくなります。
こころに刻まれるほど印象深い作品です。
今回の展覧会では、17世紀のオランダ絵画の世界にも触れることができました。
フェルメールだけではなく、レンブラントやヤン・ステーンなど、同じ時代を生きた画家たちの作品も展示されていました。
こうして同じ時代の作品を並べて見てみると、フェルメールってやっぱり独特だなと感じます。
当時のオランダでは、歴史画や肖像画、風景画、静物画など、さまざまなジャンルの絵画が描かれており、それぞれの作品から当時の人々の暮らしや文化、宗教観などが反映されています。
絵の中に描かれた小物や仕草にも意味があるそうで、これは何を表しているんだろうと考えながら見ると、絵画がちょっとした謎解きのようにも感じられて、とても面白くなります。
普段、美術館で絵を見るときは「画家の人たちには世界がどう見えているのだろう」と思っているのですが、
「この人は何を考えているんだろう」
「なぜこの色を使ったんだろう」
「この瞬間を、なぜ描こうと思ったんだろう」
そんなことを考えながら絵を見る時間がとても楽しかったです。
フェルメールの絵は、日常のほんの一瞬を切り取っていますが、その「何でもない一瞬」が、何百年経っても色あせないものとして多くの人のこころを掴んでいます。
この「何でもない一瞬」を大切にすることが大事なのかもしれないと、フェルメールの絵を見て思いました。
わたしたちの日常も、ついつい「特別な何か」や「映える何か」を探してしまいがちですが、何気なく過ごした時間や、誰かと交わした会話、ふと笑った瞬間のほうが、あとから思い返したときにこころがぽかぽかすることありませんか?
フェルメールはそんな「何気ない時間」の大切さを伝えてくれているのかもしれませんね。
14年間待ち望んだ、少女の日本への旅。
今回、少女に会えたことはもちろん嬉しかったのですが、それ以上に、「また会いたい」と思える作品に出会えたことがとても嬉しかったです。
もしかすると、もう日本では会えないかもしれません。
でもまたどこかで、少女に会いたい。
その日がいつになるのかどこになるのかは分かりませんが……
また少女と会えることを夢見て、その日を楽しみにしながら、わたしも日々の何気ない時間を大切に過ごしていきたいと思います。
素敵な時間をありがとう。
またいつか、どこかで。
