独立開業までの経緯~「こころ社労士事務所」のルーツ

プロフィールに独立開業までの経緯を書いていますが、もう少し詳しく書こうと思います。
「どんな仕事をしているか」と同じくらい「どんな人なのか」が大切と考えています。

就職

 大学は大阪外国語大学イスパニア語(スペイン語)学科を卒業しました。今は大阪大学に吸収されてしまって消滅した大学です。校舎も2022年に取り壊されました。

 スペイン語を使った南米での銀行勤務に憧れ、大手銀行で内定を得ました。ところが時はバブル崩壊の始まった年。なんと内定取消の通知を受け、就職活動は振り出しに。大手の採用は殆ど終わっており、やっとのことで消費者金融に滑り込み、就職浪人は免れました。

転職

 ただ、もともと消費者金融に思い入れがあったわけではなく、入社1年ほどで「転職したい」と思うようになりました。関西国際空港の保安警察官として働きたいと思い、警察官の試験を受け合格するも、視力検査で不合格(裸眼で0.1以上が条件)。それから1年後、何気に手にした転職雑誌を開くと、いわゆる大企業の子会社である製薬会社が「MR」という職種を募集していました。簡単に説明すれば、医師に自社の医療用医薬品を使ってもらうよう働きかける営業の仕事です。

 「医療で社会に貢献したい!」と心が燃え上がりすぐに応募。運良く採用され、地方都市へ配属となりました。100人くらい応募があり3人採用の狭き門だったらしいです。

 全然前職と関係ない外勤営業に四苦八苦するも、先輩や営業先の医師の支えも有り、なんとか仕事は軌道に乗りました。この時期に結婚もしました。すべてはささやかだけど、幸せな日々が続く予感がありました。

意図せぬ転籍

ところが、入社3年目に激震が襲います。本社が経営難に陥り、私が努めていた子会社の製薬会社を外資系企業に売却したのです。人員の半数がその外資系企業に転籍することになり、私もそのうちの一人でした。得意としていた漢方薬以外の事業売却だったので、私としては最大の武器を失ったこととなりました。ちなみにその企業は数年後に倒産しました。

壮絶なパワハラとうつ病の診断

 新しい職場は私以外、もともとの外資系企業の人でした。知らない人たちです。先輩も上司もそうでした。ただし捻じれの関係があり、その上司である支店長は旧国内系企業出身。
誰がどうだろうが、自分は自分の仕事をするしかないと頑張り、なんとか成績を上げつつありました。ところが、それを支店長が褒めるものだから周りのメンバーは面白くないわけです。「買収された側の人間のくせに」とあからさまな嫌がらせが始まります。

 会議に私を呼ばない、絶対に一ヶ月でフォローしきれない新担当エリア、卸、医師への悪口の吹き込み。大学病院を支店長の抜擢で担当していて、教授を中心とした研究会の立ち上げという大仕事を本社から任されたものの、メンバー完全無視。担当外の医師を訪問しつづけ、協力を仰ぐ日々。朝は7時から晩は10時まで、接待があるときは2時くらいまで働いていました。

 研究会を終え、一段落して精神に不調をきたしました。身体が重い、朝起きられない、何もする気がしない、食欲がない。
以前担当していた精神科医に診断を仰ぐと「うつ病」と診断されました。3ヶ月の休職後復帰するも1ヶ月でダウン。環境を変えなければ治らないとの判断で、大阪本社勤務となりました。図らずとも、地元に戻ったわけです。

本社勤務

 本社勤務となり、1年ほどは静かな事務仕事で心穏やかに過ごしていました。けれどもふとしたきっかけで営業本部に「お手伝い」ということで異動。電話番と書類整理をするつもりでしたが、徐々に仕事が増えていきます。私はいい意味でも悪い意味でも目立ちます。「もしかして仕事をできるのでは?」と営業本部の上司に見込まれ、次々と業務を与えられ、なんとかこなしていったのです。そのうち、外国人の副社長の目にもとまるようになります。営業本部内で私が一番英語ができたという背景もありました。

 結局、ここでもパワハラが始まります。「買収された側の人間のくせに調子に乗っている」というわけです。直属の先輩、上司は守ってくれましたが、それで収まるものではありません。うつ病が再発し欠勤が増えました。なんとか仕事に穴は空けずにすんでいたものの、迷惑をかけているのは確か。
しがらみのない所の営業に戻りたかったです。けれども、あまりに営業の中枢に入り込みすぎていたため、それも叶わず。営業本部長が変わり、先輩も上司も辞めた段階で、全く畑違いの総務部に飛ばされました。

社労士資格取得と退職

総務部の仕事なんて全くわかりません。「就業規則」というものがあることを初めて知ったくらいです。人事部長に相談したところ「社会保険労使資格の勉強をしてみたら?」とのアドバイスを受けました。聞いたことのない資格です。とりあえず勉強しようと、一番安い通信教育を申し込みました。4月のことです。すると山のようなテキストが送られてきました。「マジか。。。」でもとりあえず勉強しはじめ、その年の8月の試験を受験、なんとか合格しました。ボーダーラインちょうどの点数でした。
人事部長はかなり驚きました。そこそこ大きな会社だったのですが、人事総務本部では誰も社労士資格を持っていなかったのです。

当時の会社の状況は、既存薬がジェネリック(後発品)に押され売上が急降下、販売予定だった薬の承認が降りず危機的状況でした。「別の会社に吸収される」という噂が広まり、いわゆる有能な社員はほとんど辞めてしまいました。
「この会社は長くない。資格も取ったし、とりあえず辞めて休もう」と翌年の3月に退職しました。ほどなく会社は別の外資系企業に吸収され消滅しました。

十数年に渡る闘病生活

 1年くらいゆっくりしました。気持ちも体力も落ち着いてきました。就職活動を始め、縁あって外資系ホテルに就職。人事部配属ながら、営業社員の教育をするというのが職務でした。
ところが入社わずか3ヶ月で心身の不調。精神疾患の怖ろしいところは何度も再発することです。迷惑をかけてはいけないのですぐに退職しました。

 そこから本当の苦難が始まります。社労士として開業するも長く続かず、気持ちも荒れてきました。妻に当たることも多くなりました。
「様子がおかしい」と妻に連れられて主治医と面談し、「うつ病」ではなく「躁うつ病(双極性障害)」でしかも重度と診断されました。とてもじゃないが働ける状態ではないと。そこまで心身に負荷をかけていたのです。

 半年間大学病院の精神科に入院し、小康状態となりました。しかしながら外出は原則禁止、もちろん就労は禁止。自分でも働けそうにないことはやっと自覚できました。ここから十数年の自宅療養生活が始まりました。

社会復帰のきっかけ

2018年に「就労移行支援事業所」という障害者福祉施設があることを知りました。なんらかの障害で社会から離れていた人を社会復帰させるためにリハビリ等を行い、再就職を支援する施設です。就労移行支援事業所をなぜ知ったかは説明すると長くなるのでまた別の機会に書くつもりです。
主治医に許可ももらい、通所し始めました。最初は電車に乗るだけでも一日の体力の半分以上を奪われるほどの疲労感がありました。それでも徐々に適応していき、1年後には「就職活動をそろそろ始めようか」というほどに回復しました。

就職ではなく独立開業へ

 就職活動は困難を極めました。49歳でブランクが10年以上。障害者雇用の世界は残酷です。企業はおとなしい、コツコツ働く、若い人材を求めます。100社以上応募して、面接できたのが4社。実習まで行ったのが1社。
年齢だけではない私自身の問題もありました。面接で聞かれるのは「上司の指示をそのまま行い、なんの工夫、提言もせず淡々と作業ができるか」ということです。もちろんこのままのセリフを言われるわけでは有りませんが、要するにそういうことです。私の職務経歴書を見て「余計なことをしそうな人物」と思われたのかもしれません。
「障害者も戦力としてきちんと働けるような会社作りに貢献したい。障害者雇用チームでリーダー的なポジションで仕事をしたい」と私は答えていました。そんな需要はどこにもありませんでした。

 たぶん無理であることはある程度覚悟をしていました。障害者雇用の現場を就労移行支援事業所で見学して「自分にはできない」と正直思ったのです。身体障害、知的障害、発達障害、精神障害それぞれ特性は違います。それを一緒くたにして「障害者雇用」にはめ込んでいるのが現実と知りました。そんな状態を変えたいと思っていたのです。

 「独立しましょう。香川さんならできる」と、就労移行支援事業所の支援員の後押しもあり、社会保険労務士として独立しました。
事務所名は、職業性ストレスで心を痛め、人生を棒に振ってしまう人を作らない社会を作りたい、との思いで「こころ社労士事務所」としたのです。

 独立して3年を過ぎました。、全く力不足ではありますが、できることを少しずつ、やりたいことに向かって進んでいます。
平凡だけと幸せに働き、幸せに生活する。それを自分で実践し、その輪が広がっていけばと思っています。

香川 昌彦

香川 昌彦

社会保険労務士法人こころ社労士事務所 代表
全国社会保険労務士連合会(登録番号第27190133号)
大阪府社会保険労務士会(会員番号第22072号)
大阪府中小企業家同友会 三島支部 情報化広報委員長
一般社団法人即戦力 理事
茨木商工会議所専門家相談事業 相談員
大阪府働き方改革推進支援・賃金相談センター 訪問コンサルティング専門家
関西圏雇用労働相談センター 労働相談員

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