社会保険労務士法人こころ社労士事務所保険の藤井です!
蝉の声の中に混じる元気な子どもたちの声。夏休みの季節、8月———。
入道雲が映えるほどの青空を誇る8月も下旬に差し掛かり、夏休みを満喫しているお子様方はたんまりとあった宿題にそろそろ終わりが見えてきた頃でしょうか?
それとも今から本気を出す🔥と奮起し始めた頃でしょうか?
小中学生の頃の私は、宿題はお盆までに終わらせる勢いで必死で取りかかり、後半はひたすらだらだらするタイプでした!
宿題を終わらせてしまうともうそのあとは勉強もせずだらだらして遊ぶ毎日。
毎日当たり前のように仕事へ行く両親の姿を見て、「私は一生このまま遊んで暮らしていたい」そう内心思っていた時期がありました。
皆さんも思ったことはありませんか?
「宿題もなく、嫌なこともなく、毎日が冒険や遊びで満たされていたらどんなに楽しいだろう。」
———そんな幼い願いを叶えてくれる存在が、永遠の少年ピーター・パンです。
ピーター・パンから学ぶ“大人になる”ということ
イギリスの作家ジェームズ・マシュー・バリーが生み出したこの物語は、100年以上経った今でも世界中で語り継がれています。
ディズニー映画やミュージカル、日本の舞台でもたびたび上演され、私も先日、ミュージカル『ピーター・パン』を観劇しました!
「子どもでいたい心」と「大人になることへの不安」が観る人の胸を揺さぶる作品だと感じました。
大人になった今あらためて作品に触れると、ピーター・パンの世界は単なる“子どもの夢物語”ではないことに気づかされます。
「大人になる」とは何か、「成長する」とはどういうことか、という普遍的な問いが隠されているのです。
永遠の少年・ピーターの光と影
ピーター・パンは、ネバーランドという夢の国に住み、妖精ティンカーベルや「ロスト・ボーイズ」と呼ばれる仲間と冒険を繰り広げています。
子どもから見れば、それは羨ましいほどの自由に見えます。勉強も仕事もなく、好きなように遊んで、空を飛び回る。まさに理想の存在です。
挫折やプレッシャーを抱える社会人からすれば、「そんな世界があったらどんなにいいだろう」と羨ましくなりますよね。
仕事のストレスも、人間関係の悩みもなく、ただ自由でいられるなら…。
けれど、そこには影の部分も見えてくるのです。
ピーターは決して「大人になれない」のではなく、「大人になることを拒んでいる」存在でもあります。
原作小説では、彼が仲間の名前をすぐに忘れてしまう描写があるのですが、成長しないからこそ、時間を重ねた記憶を持たない。
永遠の子どもであることは、自由であると同時に孤独を抱えることでもあるように受け取れます。
子ども時代には見えなかったこの“影”に気づくと、ピーターの姿は少し切なく映ります。
ウェンディが選んだ道
そんなピーターと対照的に描かれるのが、ロンドンに住む少女ウェンディです。彼女はピーターに誘われて弟たちとネバーランドに行き、冒険の数々を楽しみます。
しかし最後には現実の世界に帰ることを選びます。
子どものままでいれば、冒険は永遠に続いたはず。けれどウェンディは「もう子ども部屋にはいられない」と気づき、家族と共に未来を生きる道を選んだのです。
ウェンディのこの選択は、大人になることは決して夢を失うことではなく、「大切にしたいものを抱えて進むこと」を伝えたかったのではないでしょうか。
ウェンディが飛べなくなった理由
物語の余韻のなかで、多くの人がふと疑問に思うかもしれません。
「なぜウェンディは飛べなくなったのだろう?」
その答えは明確に語られてはいませんが、いくつかの解釈ができます。
ひとつは、成長とともに「夢を信じる力」が薄れてしまったから。
子どものころは疑いなく魔法を信じられるけれど、大人になると現実の論理や責任に縛られて、羽ばたく力を失っていく。
もうひとつは、ウェンディ自身が“大人になること”を選んだから。
つまり「飛べない」のではなく、「飛ばないと決めた」とも読めるのです。
家族と共に生きることを選んだその決断が、空を飛ぶ代わりに現実を生きる力を与えてくれた。
そして文学的に見るなら、「飛ぶこと」は自由や想像力の象徴です。
ウェンディが飛べなくなったのは、現実に足をつけて歩むことを決めたから。
けれど、それは夢を完全に失ったわけではなく、彼女は心の中に、ネバーランドでの冒険を大切な記憶として抱き続け、自分の子供にも語り聞かせているのです。
ミュージカル版『パーター・パン』を観て
ピーター・パンは舞台作品としても親しまれ、日本では夏休みに子どもたちと一緒に観劇する家族も多いですね。
ミュージカル版の魅力は、やはり役者がワイヤーで本当に宙を舞う「空を飛ぶシーン」。
舞台上を自由に飛び回る姿を見ると「自分も飛べるのでは⁉」とつい心が高鳴ります!
そして舞台のラストに残るのは、「夢を忘れないで」というメッセージです。
ウェンディが現実に戻るのは、夢が終わったからではなく、夢を胸に秘めたまま歩き出すため。
大人になることは夢を手放すことではなく、夢を現実に結びつける力を持つことだと教えてくれます。
「大人になった今だからこそ夢を形にできる」というメッセージが込められているように感じました。
大人になるって、案外自由かもしれない
子どものころ、大人は不自由に見えました。仕事に追われ、家庭の責任に縛られ、遊ぶ時間もなく…。
けれど実際に大人になって気づくのは、むしろ「選べる自由」が増えていることです。
どんな仕事を選ぶか、どんな人と一緒に時間を共有するか、どんな未来を描くか。
ときに迷ったり立ち止まったりするけれど、その選択の自由こそが“大人になること”の証なのかもしれません。
ウェンディが現実に戻るのは、冒険がつまらなくなったからではありません。
家族と未来を共に生きたいと願ったからです。その選択は、彼女にとって「責任を背負うこと」と同時に「自分の生き方を決める自由」でもあったのです。
子どもの心を持ち続けるということ
ピーター・パンの物語に触れて感じるのは、「大人になること」と「子どもの心を忘れること」は同じではない、ということです。
私たちは大人になっても、心のどこかに子どものころの感性を持ち続けています。
空を見上げて雲の形に何かを思い浮かべたり、仕事の合間に小さな冒険心を感じたり。
そうした感性を失わないことが、人生を豊かにしてくれるのではないでしょうか。
むしろ大人になったからこそ、子どものころの夢を現実に結びつける力を持てるようになる。
そう考えると、大人になることは「夢を叶えるためのもう一つのスタートライン」と言えるのかもしれません。
今を生きる私たちへのメッセージ
現代社会はとても変化が速く、働き方や家族の形、価値観も多様化しています。
「大人になる」とはどういうことか、あらためて考えさせられる時代です。
大人になることは確かに避けらないけれど、その過程で「子どもの心」をなくす必要はないと思うのです。
終わりに
ピーター・パンは永遠に子どものまま。けれど、私たちはウェンディのように大人になることを選びます。
大人になることは夢を失うことではなく、夢を形にする力を手に入れること。
ウェンディが飛べなくなったのは、夢を失ったからではなく、現実を生きる冒険を選んだから。
空を飛ぶ代わりに、地に足をつけて歩む強さを手に入れたのです。
もし忙しい日々に疲れて、「子どもに戻りたい」と感じるときがあれば、ピーター・パンの物語を思い出してください。
きっと心の中の小さな羽がふっと広がり、「大人になることもまた、ひとつの素敵な冒険だ」と感じられるはずです。
空を飛ぶ代わりに選んだ道の先にも、ふとした瞬間、ネバーランドの風が静かに吹いてくるのを感じて…。